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錺屋の建物から退去し、手の届かない存在となって3ヶ月。
変わらず五条通りに佇むその姿を、壁からはみ出る青もみじを見るのが切なくて、前を通るのを避ける日々。
ここ最近は、錺屋を去る日の動画を編集するために、撮り貯めた館内の映像をたくさん見て過ごしていました。
完成したのはこちら*
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つい先日のこと、突然の電話で解体の決定を知りました。
五条通りに面した好条件な土地ゆえ高額で、早々には売れずに建物は残るんじゃないか。
建物を壊さず活かしてくれる人が現れるかもしれないという一縷の望みもありました。
売れるまでの間、コインパーキングとして運用されるそうです。
言葉になりませんでした。

解体前に、建具や家具、照明器具、金具などのパーツを救出に入らせてもらいました。
3ヶ月ぶりに入った館内は、あの日のまま変わらず、美しいままでした。
青もみじはさわさわと体を揺らし、苔はみんな剥がして引っ越したのに、また増えていて。

まだまだ生きられるのに、どうしてなんだろう…
撤去作業はまるで大事に手入れしてきた建物に、自ら手をかけるようで、胸がシクシクしたけれど、それでもこのまま壊されるよりかは、ずっといい。
少しでも救ってあげたい。小さな金具一つにも、愛着がある。

持ち出せるものは全て持ち出したけど、ほとんどは置いてくるしかなかった。
何も知らない人に壊されて、何もなかったかのようになるのがつらい。

自分のものであれば…何度思ったかわかりません。
京都の地価が高騰する中で、自分のものにするのは夢のまた夢のような話でした。
もちろん仁王立ちしてでも止めたかったし、どうにかできないか模索もしたけれど、私にはどうにもできなかった。

私たちと心同じく、愛してくださった常連のお客さまへ、
せめて会えなくても、元気にしていてくれたらよかったのに…
お別れも言えず、遠くから眺め悲しむしかできない状況となってしまい、本当に申し訳なく思います。
大事に想ってくださってありがとうございました。
時が、花が、風が、やさしく癒してくれますよう、祈っております。

命あるものだからこそ、いつか終わりは来る。
65年ぶりの早い梅雨入りだそうですが、錺屋の建物の涙なんじゃないでしょうか。
閉店を目前に振り子時計が動かなくなってしまったのも、なんだか意思があるように思えてなりません。

早すぎたけど、この建物の最後の時を一緒に過ごせたこと、お世話をできたことを誇りに思います。
選んでくれて、ありがとう。

そうそう、このコンロも手元に戻ってきたしね。
パン、焼けるんだもの。
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ゲストハウス錺屋
女将 涼子
初めてメッセージ差し上げます。神奈川県在住の学生です。
建物の取り壊しが決定されたというツイートを拝見し、ブログを読ませていただきました。
ずっと餝屋に憧れていました。しかし、ついぞ餝屋を訪れることは叶いませんでした。
餝屋を知ったきっかけは、おなじみの“舞妓さんちのまかないさん”です。元々舞妓を志していたのですが、家庭事情により断念した過去があるため、余計その漫画にのめり込み、キヨさんのキッチンが実在すると知ってから餝屋のSNSを片っ端からフォローし、すぐに大ファンになってしまいました。
毎日のように綴られる餝屋・月屋のほっこりとした日常がとても素敵で、羨ましくて、大好きでした。小さいけれど季節ごとに鮮やかに彩りを変えるお庭ともみじ。お庭を望みながらの楽しそうなおやつの時間。手ぬぐいをかぶってお掃除をしているところ。しっとりとした趣のあるフロント。そして可愛らしいお部屋。
常連のお客さんやスタッフの皆様、なにより女将さんにとても愛されていたことが、これまでの写真のいちまい一枚、文のひとつ一つからとても伝わってきました。
いつか私も、と思っていました。餝屋さんに泊まるための貯金もしました。日本髪を結ってもらって泊まろうと計画を立てていました。
そして高校を卒業し、やっと一人で自由に旅行に行けるようになった矢先にコロナの蔓延。そして餝屋の閉業。とても悔しかったです。きっと、身勝手なお金持ちが餝屋に泊まった時、気に入ってそのままお買いになって、これからも建物は残り続けるものだと思っていました。それがコインパーキングなんて………。ブログを読んでいて少し泣いてしまいました。
私の憧れは、コインパーキングを作るために壊されてしまったのかと考えると、言葉が出ません。
あの素敵なお庭も、大切にお手入れされてきた建物も、壊してしまったらもう会うことはできないのに。
私のようないち学生がどうにかすることなんてできない大人の事情ですし、餝屋を救いたいと一番奮闘してくださって、一番やりきれない思いを抱えていらっしゃるのは女将さんだと思いますので、私はこのような結末になってしまったことを只々悔しく思うばかりです。
素敵な思い出のお裾分けをありがとう、餝屋。
遠くから、愛していました。
夏にでも、コロナが少し落ち着いたら、餝屋貯金を使って月屋さんに伺おうと思います。
沢山溜まっていますので、長いことお世話になるかもしれません。その時は是非、よろしくお願いします。
大ファンより。
これ以上ない応援のお言葉…胸に刺さりました。私たちの錺屋での時間を共有できたようで、本当にやっていて良かったです。ぜひ月屋で日本髪でお泊まりくださいね*
ふと思い立ってホームページに来させていただきましたら解体のお知らせがあり、とても悲しく思いました。
年末に閉業のメッセージをいただいてからずっと、それでも建物は残るだろうからまた京都に行った際には錺屋の前を歩こう、外観だけでも見に行こうと考えていたのですが、それももう叶わないのだと思うと悲しくてやり切れません。こともあろうにコインパーキングになってしまうなんて……、そんなやるせないことがあって許されるのでしょうか。本当に悲しい。
幾度と泊まらせていただいた錺屋さんは立地はもちろんのこと何より建物に内観、そこにある「世界感」がすごく好きで、居心地がよくて本当に大好きでした。大好きな空間が一つなくなってしまったことはとてもやるせないです。これからは思い出の中でしか会えないのだと思い、泊った際に撮った写真をまた引っ張り出してみている日々です。
本当に、素敵な場所をありがとうございました。
突然のコメント失礼します。
私は、2011年から数年間、錺屋さんに何度も泊まらせてもらった者です。
ここ何年かは身軽に動けないこともあり、ずっと行けていませんでしたが、日々、ツイッターで錺屋さんの変わらぬ様子を見守らせていただいておりました。この度の閉館そして解体の報を目にし、どうしても感謝を伝えたいと思い、このブログのコメント欄を拝借させていただくこととしました。
10年前の冬、初めての一人旅で泊まらせていただいたのが、錺屋さんのドミトリールームでした。一人旅も初めてなら、ゲストハウスも初めてだった私でしたが、泊まった錺屋さんはとても居心地がよく、安心できる場所でした。その後、京都に来るたびにいつも泊まらせていただきました。仕事終わりで新幹線に乗り、チェックイン時間ギリギリで入って、翌日に京都やその周辺を旅する、ということを何度もさせていただきました。ドミトリールームで夜に他のゲストさんと話したり、年末に泊まったときは、台所で年賀状を書いたこともありました。私の京都での思い出には、いつも錺屋さんがありました。そして、錺屋さんで一人旅とゲストハウスが好きになり、他の土地でも同じように旅をすることができるようになりました。私がいろいろなところに一人で行って楽しめるようになったのは、錺屋さんのおかげだと思っています。本当にありがとうございました。
今は、こんな世情で宿泊業は大変だと思いますが、ぜひ、これからも素敵な宿を営んでくださいますよう、お願いします。自由に京都へ行けるようになった際は、月屋に宿泊できるのを楽しみにしています。
一度だけ宿泊させていただきました。
大晦日から元日の一泊二日。
年越しもせず単身で布団の中。
大雨が降って大変だったことを、
チェックアウトで教えてもらいました(笑)
私は新緑のGWに京都へ行く機会が多く、
その人混みの多さも苦も解放させてくれる感覚が再び足を運ばせてたのですが、慣れない冬の京都は寒さから寂しさを浮き彫りとさせて、錺屋さんを心から堪能することが出来ず。それは私の多くの性質からくるもの。
私個人としては、ネットやブログで非日常を味わう方が気に入っていました。その中に溶け込むことは出来ないんだけど、ちょっと覗き見して、心地よくさせてくれる。映画やドラマではなく、リアルな空間がそこにあるという安心感。
古き良きが形を無くすこと、活かそうと思えばいくらでも活かせるはずなものが、あっさりと失われるというのは喪失感という言葉では表現できないもどかしい気持ちになりました。
姿は消えても、目にしてきたあの瞬間のなんともいえない感覚というのは、ずっと残り続けて、何かしらを見たり触れたりした時にその感覚は蘇ることかあるのではないのかと。そしてまた、私たちに新たなる感動を提供してくださるのではないかと期待しています。無くしてしまったけど、また新たに創造することは可能だと信じてやまないです。
フェイスブックで解体のお知らせを見かけ、飛んできてしまいました。
ずっと泊まってみたかった錺屋さんにやっと泊まれたのは昨年3月のこと。
京都の町中にあって、なんて静かで落ち着いていて、素敵な空間なんだろう!!と大感激し、次に来るときも必ず錺屋さんに!と思っていました。
今年3月にやっと京都訪問が叶いましたが、すでに閉館されていて、『管理者』の看板のついた建物を五条通り越しにながめることしかできませんでした。
ゲストハウスとしての錺屋さんでなくなってしまっても、あの趣あるお台所や皆で建てたと伺ったお茶室が、何かしら活用してもらえるのかしら?と、壊してしまうなんてもったいないという言葉では伝えきれないと、思っていました。
本当に残念でなりません。
誰より女将さんがお辛いと思います。
かける言葉も見当たりませんが、私にはあそこでの一晩の思い出が、京都での何よりの思い出です。
その節は本当にありがとうございました。